アフターカーパーツ

起業のすすめ

2002年の夏、友人から話があるという連絡が入った。新しい商品開発を手伝って欲しいとの依頼であった。
話を聞いて見るとそれほど複雑な機能でもないという判断から、すぐにOKをしたのが事の始まりである。
依頼内容は、車に装着するエアホーンでどうしてもオリジナルのものが欲しいという話であった。
世の中には既に同類のものがあったのでどうしてそれを使わないのか聞いた所、ホーンに組み込まれている鳴らし方 のいくつかのパターンが気に入らないとの事。社長は、その鳴らし方のパターンにこだわっていたのだ。

商品開発は実に奥深い。掘り下げて顧客のニーズを探り徹底した拘りをもって事に当たらないと答えらしきものは 出てこない。製品を開発する技術者はそこを考えずに機能や性能だけでモノづくりをし、自己満足する事がよくあり 結果、売上に繋がらない。挙句の果てに売れないのは営業のせいだと怒り出す。
最近になってようやく日本でもマーケティングの重要性が理解されてきたようである。ものが世の中に溢れるほど あり、商品の差別化が難しくなってきてようやくその事に気付き組織的な対応が必要になってきたのだ。

実際に開発に入るとまた大きな意見のずれが生じてきた。開発側は技術動向を探り、またデザインやコストなど さまざまな角度から商品を企画してゆく、対して顧客のニーズはまったく予想外の角度から展開される。 幾度となく開発会議を行い。プロトタイプを作ったものの、時節は既に通り過ぎ開発した商品が日の目を浴びる ことはなかった。

ちなみに、依頼のあった企業は手作りのアクセサリーを顧客に受けるデザインにしたて業界でトップのブランド力を 手に入れた。暗い倉庫からの起業で自社ビルを持つまでに5年かからないほどの急成長を遂げたのである。

社長は、たった一人で、車好きの集会に参加し情報収集に勤めその後数々のヒット商品を世に送り出した。
若者の車離れが騒がれる中、メーカーもこのニッチなマーケットですら無視しなかった事も追い風になったのである。

まだ、結論を出すには早いかもしれないが、成功とはこういうものであることを目の当たりにした。
それ程の資本があった訳ではないが、拘りと顧客満足への情報収集努力、ひらめきとアイデア、タイミングなどが 見事なまでにそろっている。

数年後、彼はベンツを購入、手作業でデコ仕立てにし、ショーに持ち込んだ。
時代は、同時にデコブームの走りだったが、まさかベンツをデコ仕立てにするとは奇想天外の話である。 単に、イベントで使う為に製作したものであったが、ショー会場では、この車を売って欲しいという引き合いも あるほどの反響があったそうである。
ある程度キャッシュフローもあればこの程度の遊びも可能となる。まずは、何でもよいから儲け、小金を貯める事である。




回 顧 録(ProjectX)

解析

Mini

CASDO

Plant

Xondex

GRADE

LoadMater

大学を卒業してすぐ、ある大手造船会社の情報部門に就職した。 当時まだITはそれほどメジャーではなく、コンピュータの能力も今のパソコンにも遠く及ばす熱ばかり発散するヒーター の様なもので、ビルの1フロア一杯に設置されたシステムは、教科書にあるようにCPU、磁気ディスク、磁気テープ、 ラインプリンタやプロッターなどの大型の機械で埋め尽くされていた。

システムは端末ではなく、ユニバックが発案した90カラムのデータカードを利用し、ジョブコントロールカードと共に、 データを読み込ませバッチ処理する形で利用しており。
コンピュータの管理者は、ジョブが流されると必要なブログラムを磁気ディスクや磁気テープからメインコンソールの 指示に従い手作業でセッティングし読み込ませ、またジョブをスタートさせるという手間をかけることから、1ジョブ流す のに早くて半日、データ量が多いと1日かかるという今では考えられない時代であった。
ラインプリンタは常時けたたましい音をたてて24時間休む間もなく印字し続けている。
データ処理の結果はプリンタで印字された情報でしか確認できないのだから、プリンタ出力にも待ち行列ができる。
技術者はその間、次のジョブの為に試行錯誤するのである。
今なら本の数秒という工程である。

日本のゼネコンのIT化が遅れているのは今でも変わりないが、造船は実は海に浮かぶ構造物でビルと変わりない。
造船立国として世界に名を馳せていた日本の造船会社はいち早くこのIT技術を導入することで他国を大きく引き離す事 を考えており、おそらく日本では一番進んだ技術を導入していた。

この時代コンピュータと言えばIBM、ユニバックでインテルはまだ産声を上げたばかりであった。
技術系のコンピュータは少なく、唯一DECやデータゼネラルという会社がスーパーミニコンピューターと呼ばれるタスク の概念を取り入れたコンピュータを販売しており価格は一台で約1億円ほどする高価なものであった。
とはいえ、能力は今のパソコンに遠く及ばず、割り込み制御ができ、リアルタイム処理が可能な事ぐらいが大型の汎用 コンピューターとの違いであった。
それでも大型のタンカー一隻で数百億するビジネスをしている造船会社にとって、コンピュータはそれ程大きな投資では なく、船の値引きより安かった。
そのため車や家電会社とは違い比較的導入や容易かった。

コンピュータに精通した若者60名程がこの部門に配属され、いくつかのプロジェクトが並行して進められた。
コンピュータの生産国であるアメリカでは、NASAを中心に軍事用機器、主に飛行機やミサイルのようなものや事務処理 への利用が盛んであったが、船への利用はおそらく日本が世界で一番進んでいたのではないだろうか。

コンピュータの用途は多岐に及ぶものの、性能の問題からなかなか思うような処理能力が得られず、また高額なコン ピュータを含むシステムを販売するにしても投資額の問題から導入できる企業はまだ限られていた。
マニュアルは全て英語だし、素人が扱える代物でも無い。
しかし、構造計算や、配管設計、NCなど大量に計算を必要とする造船業にとって電子化は必要不可欠なものであった。
問題は山積していたが未来を見て我々は開発に寝食を費やす事となった。

大学に居た頃のコンピュータはもっとお粗末なものであった。
ファコムメイトと呼ばれる富士通製のコンピュータが唯一学生でも使えるコンピュータだった。
カードリーダーは一枚読み込ませるのに1秒、大量のデータ処理などできるものではなかった。データカード (パンチカード)は90カラム、1カラムで1バイトの情報をパンチする。
当然打ち間違いもある。幸いにしてパンチカードは自由に使えたので多少の打ち間違いで、落胆するといえばもう 一度打ち直さなければならない事ぐらいで貧乏学生が余計な出費をすることだけは避けられた。
大学本部には事務処理用のIBMマシンが導入されていた。
すばらしい施設だと感嘆したものだ、教授の研究の手伝いということで時々使わせてもらえることもあったが1秒間 に数十枚ものパンチカードを読み込める性能は圧巻であったのを記憶している。

マイクロコンピュータはこの時代にもあった。ザイログのZ80というキットが学生達のおもちゃであった。
言語は80アセンブラと呼ばれる機械語、今の様な高級言語ではないため、マイコンとコミュニケーションと取るため には頭の中を16進にしなければならない。
ご存知のようにコンピュータの理解できるのは2進の0か1なのでこれでも十分高級言語の部類なのである。
おまけに相手は4ビットマイコンである。命令語は16種類それも全部使えない。
コンピュータとの会話は赤子以下といってもよかった。同じ頃あのビルゲイツもこの会話に没頭し、しかし、可能性を 夢みていたのだろう。

会社のシステムは大学の本部にあるのと同等のものであった。
当初なんの不満もなかったし暫くしてシステムがアップグレードされ、メインメモリが16Mになった時、背筋に悪寒 が走るほど感激したのを忘れない。
ちなみに現在のノートパソコンは1ギガ搭載のものもあるのだから笑える話である。
日本でのコンピューター利用はやはり事務処理を対象とするものが大きかった。
対象は主に給与計算や経理。特に大量のデータを処理しなければならない部門がそのユーザーだった。
データ処理はできたものの、システムは大きな問題を抱えていた。それは日本語の問題である。
アメリカ生まれのコンピュータは全て英語がベースとなっている。
日本語は認識することすらできないし、まして漢字など問題外である。
殆どのシステムはまずカタカナをサポートする所からスタートした。
しかし、日本語をサポートするだけで、コンピュターの処理能力は格段に付加がかかる。
郵便番号が使われ始めたのはこの頃である。住所や名前を番号に置き換えなければ大量のデータは扱えない。
このように、日本でのコンピューター利用は、入り口の時点で大きな問題を抱えており、なかなか前に進めなかったので ある。

この頃通産省もこの問題を解決する為の国家プロジェクトを進めていた。
国内のメーカーは競ってこのプロジェクトに参加しようと試みたが、弱小企業は全てはずされた。
残ったのが、日立と富士通だけであり、やむなくNEC、東芝は独自路線で対抗せざるを得なかった。
国プロジェクトは困難を極めた。まず世界を席巻しているIBMとの技術提携である。
技術者が米国に派遣され、解析作業が始まった。ハードウェアの問題はともかく、問題はOSであった。
同じハードウェアを開発できたとしても、日本語に対応するOSの開発は困難を極めた。
漢字、かな、ひらがなコードのJIS規格が制定され、2バイトで日本語を理解させる手法が確立された。
また漢字は4バイト必要とされるため当初はまずカナだけで開発は進められた。
ようやく、起動に乗り始めた頃、IBMは日立、富士通を相手に訴訟を起こした。知的所有権の侵害である。
明らかにこの頃のコンピュータはIBMのコピーそのものであった。
型番は変えられていたが、殆どIBM互換仕様であり、オリジナルではなかった。
豚は太らせて食べろということだろうか、当初IBMはその事実を黙認していたが、脅威を感ずるようになり訴訟に踏み 切ったのである。
いくらあがいても結果は明らかであった。
日本側は敗訴あるいは調停による和解をし、莫大な費用を支払う事となる。
この手法が数年後また繰り返される事になるのだが、それはまた後でお話しよう。

国内でのコンピュータの普及はめざましいものであった。
国の補助もあったせいか、大型の汎用コンピュータならびに独自路線を進めたスーパーコンピュター、オフコンと次々 にIBMの牙城を崩し、日本はその殆どが国産のコンピュータでシェアを確保したが、海外ではまったく売れなかった。
これは、ハードウェアの問題ではなくやはりOSの問題であった。
この時、先見性を持つ経営者がいれば、日本はこの分野で世界を席巻していたであろう。
日本は、日本語の問題を解決する際に、その他の言語を持つ国々の事情を配慮しシステムを開発できなかったのである。
逆にIBMを含むアメリカの企業はこの問題を重く受け止めていたため、英語圏以外の国々での利用を考えたシステムの 構築を進め、従来のシステムをより使いやすい環境にアップグレードすることで世界シェアを揺るぎ無いものにした。

コンピュータ利用の次なる問題は、データの入力である。
タイプライターを利用する英語圏では、タイピングはあまり苦にはならない。
残念ながら日本の文化では日本語タイプがあったものの一般的でなかった。偶然だったのだろうか、日本ではローマ字 という手法があった。
そのため同じタイピングでもローマ字を利用した日本語入力は比較的スムーズに受け入れられる事となる。
この手法を利用し、ヒットしたのがワードプロセッサーである。

コンピュータの日本語処理には以後長い年月がかかることになる。
それを予見していた訳ではなかったのだろうが、ワードプロセッサーはつい最近まで利用され続けることとなった。
データの入力に欠かせないタイピング。
それは戦後の集団就職で田舎から大量の労働者を工場に受け入れたのと同じく、大量のキーパンチャーと創出した。
タイピングになじみの無い人間が打つよりも数倍早く正確にタイピングできるパンチャーを各企業は大量に抱えていた。
カードにデータを打ち出すにも機械がいる。
しかもそれを一般の人間が打っていたのでは極めて生産性が落ちる。
従って、データを紙に書きパンチャーに委ねるのである。データはあっという間に出来上がってくる。
1枚や2枚なら自分でできるが大量のデータとなれば、誠にありがたい人材であった。
もちろんといって良いほどこの様な仕事は女性である。
当時、パンチャーとの社内恋愛はかなり多かったのではないかと思う。

話が横道に逸れたが、この頃から人間とコンピュータとの会話(ヒューマンインターフェース)は大きな問題であった。
今でもこの問題はまだ解決されていない。しかし、この頃には色んな挑戦が行われた。
手書きの文字を読み取るOCR、音声を認識できる音声入力、タブレットなどで文字や図面を認識する筆順認識やパターン 認識など。
我々のプロジェクトは、OCR、CAD/CAM、船舶用船積計算機器などであった。

OCR(Optical Character reader)光学的文字読み取り装置
日本人にとってキー入力は不得意とされていた。最近では、携帯での入力や、コンピュータがビジネスにとって不可欠 であることから不得意なのは、中年以上の管理職に限られるようである。
よって手書きする頻度が極端に減ってきており問題になっている。
しかし、殆どの場合、コンピュータを利用した出力を行うので手書きをしたところで返って二度手間になり効率的でない。
時代の流れであろうか、動向は変えられない。 たとえ一時期ではあっても文字認識の技術は確立され高度な日本語認識技術はまだ残っている。
最近ではプリンタのイメージリーダーから文章に変換されるソフトが搭載されており重宝している。
ソースデータが無い場合、必ず誰かがデータを打ち込まなければならないケースがあるので効率的である。
文字認識は、まず、CCDと呼ばれるイメージ情報を読み取る作業から始まる。
手書きや印刷された情報をメモリ上にビット情報で展開する訳である。
コンピュータはバカであり人間の用にどこに文字がありどこに絵があるのかなど理解していない。
決められた枠の中に記載されているのであれば文字情報を抽出する作業が省けるがそうで無い場合まず場所を特定しなけ ればならない。これらの処理を行うにも色んなアルゴリズムがあり能力や精度、スピードが異なる。
どんな方法を想像されるだろうか。
それをプログラム化し、抽出した文字情報に適応させコンピュータに理解できるコードに置きかえる。
人間の文字は千差万別であり綺麗な文字もあれば人間ですら理解できない文字もある。
また、必ずしも正しく記載されている訳ではない。よって、近似する文字候補を出したり、イメージ情報をそのまま表示 し正しい判断を求めなければならない。
時に誤読もあるし、読めないとギブアップするケースもある。
しかし、これらが頻繁に起こるようでは、業務の効率は図れない。 皆さんは"5"と"S"を識別できる。また"B"と"8"の違いも理解できる。
しかしこれをプログラム化するのは至難の業なのである。
崩れたこれらの文字を毎日見続けていると頭の中でどうしてこれが"5"なのだろうと象形文字からの生い立ちを想像した くなるほど頭の中がおかしくなってしまう。
また、これに漢字やカナ、記号が含まれた場合、その一文字だけで"ロ"と"口""□""○"の区別ができるだろうか。
"0"と"O"、"2"と"Z"はどうだろう。人間はかくも優秀なものだと感激するに違いない。

我々は、"所詮コンピューター"、"されどコンピューター"といい、手間のかかる奴といつも思っている。
正しく指導してやれば人間の数万倍の能力を発揮する。しかし指導が少しでも間違っていればそれを自ら正す能力はない。
昨今の全てのシステムはコンピューター化されているがこの事を忘れると手痛いしっぺ返しを食らう事を身を持って体験 している。
世の中に100%信じられるシステムなど存在しない。
絶対大丈夫などという経営者が居たらそれは素人であり、その一言でその会社は信用に値しない。
ちなみに日本人以外、特に欧米人の文字などはコンピューターで認識するに値しない文字であった事を付け加えておこう。

CAD/CAM 
主にエンジニア部門で利用されているのでフリーハンドで描けるドローウィングツールとは一線を画す。
違いは、1本の線や点に座標位置があり、相関関係や意味があるものと無いものの違いである。
人に対するインターフェースはドローウィングでよいのだが、コンピュータに対してはCAD/CAMでないと通じない。
データは、点と線、曲線で表現されるが全て計算された数値であり根拠がある。強度計算、構造解析などから導き出され た情報なので、要素データ、例えば鉄骨であれば自重や耐久強度などの情報が必要となる。
機械工作で利用する場合だと、旋盤のツール形状や熱による伸縮なども考慮しなければならない。
従って1本の線を引くにも大量のデータを解析処理する必要がある事から、ある程度の処理能力や容量を持ったコン ピュータが必要になる。あたり前の事だが、当時のコンピュータはそれぞれのハードウェアで異なるOSが採用されており 高級言語と言われるフォートランやPLLを使ってもOSとの親和性の問題で互換が保たれていなかった。
誤動作の原因が分からず、時間を費やす事は日常茶飯事で完成度の高いシステムは臨むべきもなかった。処理能力もなく、 また画像出力用のCRT(テレビ)も解像度が悪くレスポンス(反応時間)が悪い為、釣りをしているような気分である。
一度実行キーを押すと返事が返ってくるのに数十秒から数分かかるし、それが実行コマンドの場合、一日かかる場合もある。
しかも、ハードウェアやOSは安定していない。途中で止まってしまうこともあれば、容量オーバーでループ状態に入ったり落ちたりする事は当たり前という環境であった。そのためプログラム作成やデバック中は必ず一度セーブしたりバックアップを取るなどの安全対策を取っていた。それでも、熱中しているとその作業を忘れ、一晩かかって仕上げたプログラムが一瞬にして消えてしまうなどという事もあった。 図面情報はとにかく情報量が多い。
1本の線を引くのに必要な要素は最低でも3つ。
双方の点の情報とそれを結ぶ直線の情報、更にこれを画面に表示する場合は、CRTの解像度に合わせてその経路の点情報 を全て持たなければならない場合もあった。
そんなシステムで大型タンカーしかも100万トンクラスのものを表示できるはずもなかった。
先にも述べたがメインメモリは大型の汎用コンピュータでも16M程度である。
今のパソコンユーザが仮に16M仕様のものを利用したらどう感じるだろうか。
おそらくこんなの使えないと誇りを被るのは目に見えている。
しかし我々はその出来の悪いコンピュータですら子守する以外方法はなかったのである。

船舶用船積計算機器
非常に特殊なコンピュタであり一般になじみのあるものではない。
実は、大型のコンテナ船や、タンカーでは、積荷のバランスが必要で、これを怠ると沈没のおそれがある為非常に重要 なのである。
当時、これは船長の仕事であったのだが、大型化するに伴い積荷の順序やバランスを考えるのは非常に複雑なジグゾ ーパズルの様なものになりつつあった。
これを解消する為に開発された専用コンピュータで、以来常備品として必ず搭載しなければならないシステムであった。
ご存知のように空のタンカーでは運航時海水を溜め込んでいる。
また、運航時の揺れや事故が起きた際の事を考慮しタンカーの内部は隔壁でいくつもの部屋に区切られている。
どこにどの順序で積載すればよいかはそれほど単純ではないし、下手をすれば船が折れてしまう事もあるのである。
また、船舶の航行では、いかに燃費を節約するかというのも大きな課題であり、時化の海では、船首を波に向け、 横波を受けないように航行する。
また海流を考慮し、より効率のよい航路を選択しなければならない。
これらの対策を講じることでどれくらい燃費を抑えられるかなどの計算も船長の仕事であった。
大型タンカーの甲板の広さをご存知だろうか。
100メートルを越す甲板を持つこのタンカーの乗員を削減しなければ費用はかさむばかりである。
システム化が進むに連れて人員は削減されクルーは20人ほどで航行できるようになった。
ひょっとすると航空機より少ないかもしれない。今では燃費も更に向上しスピードも出るようになってきた。
しかし、大半はまだディーゼル機関である。
時間は飛行機に比べ時間はかかるが、大量輸送には欠かせない手段である。
エコ時代の新しい船舶は太陽光や原子力が有望とされるのだが、まだまだ普及率は少ない。


80年代のコンピュータには随分と泣かされたものだ。 CPUの処理速度も遅く、OSが大半を占める中でアプリケーションソフトなどはとても使える状況には無かった。
それでも、与えた命令には忠実で、まとまったデータを入力すれば繰り返し演算をそつなくこなしてくれる魅力は なかなか見逃すことができなかった。
ソフトもハードもまだ未成熟で、ミニコンと呼ばれる技術系の高速コンピュータ や、当時のパソコン(業務用)などまるで赤子をあやすかのように扱ったものだ。
時に、拗ねて動かなくなる。大抵はメモリの容量不足や熱による誤動作で暴走することもあった。
うっかり、作業に熱中していると費やした時間を全て無駄にしてしまうこともあるため、こまめにデーターをセーブ する必要があった。
なぜなら一度トラブルが起きればシャットダウンしてやり直すしか方法がなかったからである。
インテルの創始者であるゴードンムーアが提唱したムーアの法則に従い、CPUの処理速度は、プロセスの微細化技術 の進化にともない2年毎に倍になり90年代にはエンジニアリングワークステーション(EWS)という新たなカテゴリの コンピュータが出現した。それに伴いミニコンブームは縮小し、技術者は1人一台のEWSを持てる時代になった。
その間データー送受信の為の技術であるネットワークも進化し作業性は格段に効率化されたが、それでもまだコンピュータ は安定した動作をすることはなかった。
オフィスユースでも、しだいに大型コンピュータから規模の小さいオフィスコンピュータへと移行することで、大企業 だけでなく、多くの企業がコンピュータの恩恵を受けることになったのもこの時代である。
それでも、課題は山積していた。
しかし、少しづつではあるが進化する技術を使った新いコンピュータを利用し技術革新 が行われる度に、作業は効率化し、ついに21世紀を迎えた頃には巨大企業であったIBMですらPCの将来性を予見し、大きく 舵を切り替えPC事業に乗り出すこととなる。
ちなみに、PCは、80年代にはPCのOSについてもデファクトとなるものがなく、現在のような互換性は皆無の状況だった。
メジャーなOSだけでも3種類あり、CP/M、MaCOS、MS-DOSが台頭しており、国内では、NECが日本語をサポートしたPC-98が 圧倒的なシェアを持っていた。
残念ながら、この時代のパソコンはまだ8ビットが主流でCPUの能力が低かった為、容量を必要とする日本語機能が十分で はなかった為に、NEC、沖電気、東京三洋(現SANYO)以外はワードプロセッサと呼ばれる専用機が主流だった。
NECが国内PCで一人勝ちだったのは、ひとえに当時名も無き徳島の所謂今でいうベンチャー(実際には家族経営の零細企業) だった日本語ワープロアプリケーションの一太郎の貢献とも言われている。
また、ネットワークでは、アップルコンピュータのMaC(マッキントッシュ)が圧倒的な実力をもっていた。
ユーザーの利便性を考慮したOSの作り方は非常にユニークでヒューマンインターフェースに優れ、独特の外観やMaC同士 の接続が可能なアップルトークは当時まだ記録媒体の貧弱な状況下にあって極めて効率的な情報交換のできる技術であり 電話回線を利用する事で海外とのデータ送受信を可能としていた。
後の90年代にアポロやSUNなどのEWSの台頭する中でデファクトとなるTCP/IPというプロトコルが規格化されても、線を繋 ぐだけで通信ができる使いやすさは21世紀まで続いた。
一方でOSの覇権争いは次々にバージョンアップを進めるマイクロソフトが遂にIBMのOS2に勝利することで一機にトップに 躍り出ることになる。しかしながら、それでもアップルの牙城を崩すことができずに遂に、マイクロソフトはアップルの 買収工作に走ると同時に、ヒューマンインターフェースをウィンドウズ98から全面改良しアップルと同等のものに切り 変えた。当時の秋葉原での熱狂振りを思い出す人も多いのではないだろうか。
アップルの買収は、独占禁止法の関係でMaCOSを残すことで決着したが根強いMaCユーザーは今でも愛して已まない。
また、PCのCPUでは、インテルが80シリーズ、86シリーズと進化させ、モトローラやIBMを押さえ、デファクトとなる ことでようやく現在の標準仕様に落ち着く事になるのだが、ユーザーにとってはウィンドウズの勝利を誰しもが臨んでいた 訳ではなく、ただ単に、マイクロソフトが覇権争いで勝利しただけで、まだまだ素人には使いづらく進化の過程でしかない といわざるを得ない。
今後の進化は、おそらく、現在PCを使いこなしている人たちにとっても想像を超えるものになる事は間違いない。
それは、ひとえにコンピューターとのヒューマンインターフェースがプログラミングの論理から一脱していない事に 他ならない。